冷たく透き通った冬の風に

 

 すっかりデジタル化されている、私の日常は留まることを忘れてさらにデジタル化されています。もう、すっかりって感じで加速している次第で、20代の頃に「文明の利器などクソくらえ!」と、周囲の機器へ嫌悪の眼差しを向けていた、頑なな若者と同じ人間とは思えないくらい。

 

 そんな訳でもっぱら最近、音楽はspotify利用している。プレミアムプランに切り替えるほどではないけれど、CDやダウンロードだと自分の嗜好が直線的に反映されるから、好きな音楽だけ聴くことができる反面、いつも同じアーティストの曲を聴くことで飽きてしまう、しばらく聴かなくてもよくなってしまうという悪循環が生まれて、新鮮さや聴きたいと思う情動が鈍ってしまうようだ。

 個人的な相性の話でしかないけれど、一つの手法、指向に拘ることを手放してみると、意外と好転することもあるらしい。小難しいこと抜きにしても、spotifyは退屈しない(なんか、ステマみたいだ)。

 

 投資対象ではないけれど、暗号通貨(暗号資産)に興味を持ち、小数点以下で積み立てるように買い始めている。よりによって、急落が続いているタイミングにどうしたものかと思いつつ、不勉強であることが幸いして順調に、不規則に買い増している。

 ブロックチェーン技術がどのようなものか詳しくないが、法定通貨が国家間の境界に縛られて為替手数料などが生じる現状が変化するのだろうかと、淡い泡ぶくみたいな期待を抱いてしまう。不勉強であるとは、可能性を創造することなのである。だがしかし、もし法定通貨が消滅した場合、暗号資産の資産価値をどう証明するのだろうか?それは考えたくない。

 考えることは面白い。突拍子もない理屈だろうが、捻り出せるだけで有難いものである。

 

 今、生き生きしている。不思議なほどに。

 忘れたい過去がいっそアプリであったならば、いつでもアンインストールできたろうに。

 それができないことが、ヒトであることの宿縁かと思うと「なにくそ!」と思う。

 そんなものにいつまでしがみついている?

 忘れられないのではなく、存外、私自身が手放したくないだけではないか。

 

 過去が現在の価値を定めるという、空気とともに吸い込んできた認識は錯覚ではなかったか。

 現在の価値を未来から定めることは不可能だろうか。不可能と断じることは未来を閉じてしまわないか。

 未来に思い描く理想から逆算して、現在の価値を求めた場合、現在の価値を高めることが未来の価値をも高められないだろうか。「y=x」ではないから必ずしも、そう単純に運ばないだろうけれど。

 

 ああ、吾輩は空腹である。この時間に空腹になるなんて、書き始めたときは予想してもいなかったな。う~、蕎麦でも食べようか。寒いし。