端末魔の叫び at November

 

 2018年も、もう残り2か月。過ぎたことを振り返るのは建設的とは言えないけれど、ついつい忘れてついつい振り返ってみれば、今年ほど波乱に富んだ?一年はなかったはず。

 大手キャリア携帯会社を解約して感じるのは、「大手キャリアでないと保証されないサービス」が多いこと。それは永年の企業努力と言えなくもないけれど、可能性を制限していたようにも感じる。「二年縛り」「四年縛り」と通信事業者に縛られることが問題視されながら、もっと大雑把に言えば通信に縛られる生活には誰も異を唱えない。

 この記事も、そういう緊縛状態で書いているのだ。実に鮮やかに証明されている。

 

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 私は、空気椅子できるほどに下肢が丈夫ではない。むしろ、下肢が弱いから数年前に痔を発症したのではないか。腰部から下腹、および下肢の血流が最悪なのだと思う。痔核はあるが自覚はない。

 

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 下品なダジャレはトイレに流すとして、仕事の影響からなのか、手元の端末が増えている。SIMロック解除するの忘れた、今話題?のiphone SE(キャリア時代最後の品)とか。人生初のMVNOで申し込んだHUAWEIの端末とか、Payアプリのために購入したHTCとか。物欲の権化としか言いようのない、今の姿を30年後の私が見たら、誰だか分からないと思う。

 新しい端末を手に入れると楽しい。まるで新しいゲームソフトを手に入れ電源を入れた時のように、設定とか仕様とかを確かめては至福を噛みしめている。幼いころ、「30回は噛みなさい」と言われていたっけ(実際にやると顎がつる)。

 

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 絵が寝ているのは、私が睡魔に襲われているのを見かねて代わりに寝ようとしているだけで、他意も悪意もない。こうやって、自分が描いたイラストと心が通った瞬間にも至福は感じられる。

 スマホ疲れやSNS離れが注目を浴びているらしい。注目というのは趣が異なるのだろうが。

 一時期、LINEに熱中していた時期があったけれど、今思い返すと非常に疲れるものだった(別に、そのアプリ自体を非難するのではなく、個人的な使い方の問題)。相手にも迷惑をかけていたと反省している。

 

 その反動かもしれないけれど、今はもっとゆったり、スローハンド(ERIC CLAPTON?)に送受信できるものを探している。そう考えると、メールっていいなと思う。じっくり文章を考えられるし、写真も添付でき、なおかつSNSよりもオフィシャルな感じもあるので、相手との関係性で文章の雰囲気を上手く調整できてしまう。長文はしんどいが。

 SNSに疲れる原因について夢の中で探してきて感じたのは、デジタルながらも相手のパーソナルスペースを侵害しやすいからではないか。デジタルであるが故に、か。

 

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 相変わらず、私の気分を忖度するイラストだ。ここまでくると、頬を赤らめてしまう。

 私のパーソナルスペースを徐々に埋め尽くす、読む前にどんどん増えていく書籍と、好奇心が膨らむたびに増える端末、それからその中央に君臨する神々しい布団。今年こそは「断捨離」で部屋の荷物を減らし、来たるべき何かに備えようとしていたのに。

 

 あゝ、私の生活は欲望に満たされてしまった。