奇縁は消えん…so,気炎を挙げよ!

 

 もう、語呂合わせ以外の意味は無いです。語呂合わせ?ダジャレ?

 さて、何か急に、新しいことを始める時というのは本当に心細いし、それが仮に前例のないことであれば尚更、不安を通り越した恐怖しか浮かばなかったりして、元の道に引き返したくもなります。

 でもそこで戻ってしまったなら、その先の人生はきっと、もっとモヤモヤした陰湿なものかもしれない、とも思ってしまったりして。最早、収拾がつかない状態、カオス。

 

 f:id:ume8yang:20180422164042j:image 

 

 年々、短気になっている自覚が芽生え、春はやはり新たな生命が芽生えるタイミングなんでしょう。

 もう、35歳です。言の葉には焦りはないなんて載せながら、正直、現状に焦りを感じ、自分自身への苛立ちも抱えているのです。正直者ではないのに、「正直…」と言っているあたり、不遜だなと思いますよ。

 

 f:id:ume8yang:20180422164753j:image

 

 考え方が甘いと言われることがよくあり、そこまで辛党でなければならないのかと疑問に思いますが、人は何故、甘い考え方を許せないのでしょうか?

 きっと許せないわけではなく、辛党に耐えて生きてこられた方からすれば、これまでの我慢をヒンヤリさせる隙間風みたいに、心地好いものではないからかもしれません。

 

 私は、人を叱るのがとても嫌いです。苦手という方が正しいかもしれません。

 もしも、いつでも、誰であろうとも正しく叱り、お互いに円満な関係を続けられるプロがいたら、可能な限り長く、そばにいて欲しいくらいです。ただ、その場合には間違いなく、報酬を支払わなければなりません。

 さりとて、今はその報酬を支払うことさえ出来ません。

 

 f:id:ume8yang:20180422170114j:image

 

 彼だか彼女だかわかりませんが、そのプロが銀河系一の善意の塊で、「報酬などなくてもずっとそばにいますよ」などと言わない限り、報酬は支払わなければなりません。報酬は割いてくれた時間や労力、手間に対する礼でもあり、また相手の価値をどのように認めているかを伝える、コミュニケーションの一種だとも思います。

 

 ところで、私は人を叱るのが苦手、という本題を忘れてました。本題を忘れついでに、何故、そのテーマを振ったのかも忘れています。おそらく、書いた時点では何かしらのメッセージを抱えていたのに、叱るプロが消し去ってくれたのです。

 脱帽です。元からかぶっていませんが、形式上、かぶっていたことになります。

 

 老荘孫子から始まった、東洋思想好きからの東洋医学への偏愛。

 西洋医学とは違う過程や視点から、穏やかに心身の調和を図り、無理なく生きるための術。

 もっと明るく楽しく、思い煩うことなく、この時代を受け容れることができるなら、そのために東洋医学が成し得るものは何だろうか。医学だけではない、哲学にせよ、科学にせよ、東洋思想の根底にあるもの。

 

 原初、ヒトは無一文だった。否、生命全てが無一文だった。

 無一文から逃れるために着込んだのが現代なら、私が目指すところは無一文の頃の東洋医学

 

あ、別に、ストリーキングを奨励している記事ではありませんよ。悪しからず。