春眠暁を覚えなくともねんごろにゴロゴロ

 

 忙しいのは嫌いだ。

 怠惰なのかと聞かれると、それに答えるのは面倒くさいとしか言えない。頰を赤らめながら、ね。

 気虚、あるいは陽虚体質なのかと聞かれると、どこの鍼灸師ですかと聞き返したくなる。頰を赤らめながら、ね。

 それくらい、面倒臭い奴なのだ。頰を赤らめながら、ね。

 

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 もしかすると、古来からスギではないにせよ、花粉症があったのかもしれない。花粉症になり、春になると眼や鼻が疲れ果て、特に眼の疲れから眠くなることを考えれば、「春眠暁を覚えず」というのは、記憶力が悪い「春眠」という人物が、いつまでたっても「暁」という言葉を覚えられない、と言った故事ではなさそうだ。

 

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 私は、鍼灸師だ。否、鍼灸師であると思う。否、待てよ、鍼灸師だったかな。

 それくらい、本当に面倒臭い奴である。言葉を転がし、言葉に転がされ、結果として独りでゴロゴロと転がっている。恐らく、側から見ればそういう構図になっているだろう。事実無根だが、私も含めた誰もが皆、そこに気づいていない。

 転がることを恐れてはいけない。昔から、BLUESもROCKも転がる生き様を見事に歌っているし、鴨長明に至っては『方丈記』の冒頭で、祇園精舎の鐘の音がナントカって話していた。細かいことは覚えていられない。

 

 古い日本のことわざに、「おむすびころりんすっとんとん」とある。「すっとんとん」だったか「すっぽんぽん」だったか、私の記憶も春眠レベルでしかないけれど、兎に角、だ。

 転がる生き方は悪いものではなく、古くから人類の憧れであって現実に叶えられない焦燥が、やがて魍魎(もうりょう)と化し、人々を恨みつらみの妬みそねみに走らせる。

 

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 ここまで、話も転がってきたけれど、行き着く先が何処にあるのかは私にはわからない。

 書くのが面倒臭くなれば止めるし、読み手に面倒臭い奴だと思われれば本望だ。既存の枠組みに自分から嵌っておきながら、都合が悪くなった途端、その枠組みを否定する方が面倒臭い。

 

 そう、それも私だ。

 仮に、この身体が十二面体であっても、おそらく全ての面に面倒臭さが映るだろう。何を自慢してるのか、そもそも自慢になるのか疑問だけど、つまりはそういうことで、どういうことかは定かじゃない。

 

 さて、宴もたけなわで御座いますが、ここらで休ませてもらいます。

 春眠がどうしても暁を覚えられないようですから、私も一緒に、暁が覚えられなくなるまで、深い宵に落ちてみます。