誰かの誰かはまた誰かの誰か

 

 もし、ムカつく上司や気に入らない部下、あるいは説教くさい教師がいて、毎日を怒りや侮蔑に明け暮れているとしたら。

 勿体無い時間の使い方をしている、と思う。生まれてから墓に入るまで、たとえ長い時間だとしても一度きりであることに代わりはないから。

 とは言っても、本当にムカつく奴はいるし、説教が趣味なのかと思わずにいられないこともある。

 

 今は、自分の心を本当に鎮めたい時、タイトルのように思うように、呼吸を繰り返しながら努めている。

 

 私にとってはムカつく上司でも、家族からはとても愛されているかもしれない。

 私にとっては気に入らない部下でも、友人のために身体を張る、勇敢な人かもしれない。

 私にとっては説教くさい教師でも、草木に毎日欠かさず、水をやる、心優しい人なのかもしれない。

 

 ムカつく、生意気、気に入らない。それはきっと、誰かもまた、自分に対して抱いている感情だろう。

 想像力の欠如。

 

 心配性でも、ネガティヴ思考でも構わない。

 自分のため、誰かのためにあーだこーだ考えてみる。その繰り返しが、想像力を豊かにして、もしかしたら、その甲斐あって一流のアーティストになれる日がくるかもしれない。しかし、なれなくてもいい。

 

 想像力を大事に。

 創造力を育てよう。