一度きりの人生儚く強いバカになれ

 

 私は二十代をフリーターで過ごし、三十路直前に鍼灸師を目指した。そして、鍼灸師となった。

 転職回数は多いかもしれない。恐らく、終身雇用の名残かもしれないが、そういう生き方をバカにされることもある。内心、クソくらえと思う。でも、実際に食わせるわけでは無い。

 

 退職を切り出す場面で、「また逃げるの?」と言われたこともある。余計なお世話だと思う。

 『兵法三十六計逃げるに如かず』、だ。逃げることを悪と決め込んだ結果、どれほどの尊い命が奪われたことか。戦うにしても、逃げるにしても生きることが最上の目標でなければならない。私はそう思う。

 

 今の世の中、戦うこと、前向きであることが最善とされている。それが病的にも映る、私の目は悪いのかもしれない。左右ともに裸眼視力、0.01以下だから仕方ない。

 戦うなとは言わないが、なぜ、同様に逃げる術を教えないのか疑問に思う。

 『臥薪嘗胆』という言葉もある。生きてこそ反撃の余地も生まれる。生きるために逃げることは、もはや立派な戦術である。

 

 東洋医学の魅力に取り憑かれて鍼灸師となった今、私が見る夢はもしかしたら、私が見たい夢なのかもしれない。

 しかし、私はまだ東洋医学で治すことに未熟でありながら、大いなる可能性に満ち溢れていると、根拠のない自信に満ちているから困った。さっきから満ちてばかりだ。

 

 逃げるからには本気で逃げるし、だからと言って、逃げている間は道草を食ってばかりでは無い。ドレッシングがないのに、道端の草は食べられない。

 そして逃げていることを忘れるくらい、出逢う景色を楽しむつもりでもいる。観光さながらでもインバウンドではない、むしろ、アウトバウンド。意味は知らない、適当。

 もし好い景色に出逢えたなら、心を穏やかに、気持ちを安らかにして歩を止めればいい。

 

 この人生も、その人生も一度きり。

 自身を含め、誰かを傷つけそうだと案じているなら、心安まる瞬間に出逢うまで、遠くでも近くでも逃げることを強く薦めたい。

 

 苦しむために生まれてきたのなら、なぜ、この世界には慈愛が満ちているのか。

 死ぬために生まれてきたのなら、どうして太陽や風はこれほどにも優しいのだろうか。