カオスを愛する顔っす

 

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 社会的な欲求は無いのだと思う。私自身、社会というフィールドで富や名声、地位を得て、誰からも尊敬される人間でありたいと願っている訳では無い。と言うと、その実力があるように錯覚してしまうが、それすら無い。生きている間にしか得られないモノなど、どうでもいいと思っている。

 

 一つのことに腰を据え、「社会人」として愛される暮らしは窮屈で、どこか物足りない。その生き方を否定するのではなく、ただ、私がそこに乗ることはないというだけ。

 新宿へ向かう電車に乗ったからといって、新宿で必ず下車しなければならない法は無く、途中下車してそこから気ままに歩いたっていい訳だ。途中で降りたからといって、その電車を否定したことにはならない。乗ったのが電車か、人生かという違い。

 

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 変化は嫌われる。そう感じることが多々、ある。色々な場面で。

 それは変化を望んでいないからでは無く、むしろ、逆であるようだ。どんなに変化を望んでいても、変化を受け容れることのできない、様々な要因に縛られた積み重ねが同調圧力の下、変化していくヒト、変化しようとするコトを否定する。誰かに追い越されたという不安が、益々、圧力を高めていく。

 

 圧力が高まれば、行き着く先は爆発。

 いっそ、爆発するしかないという選択肢は無い。爆発しないよう、圧力は弱めていくべきだろう。

 爆発して不幸になるよりも、いっそ、途中下車してリラックスしたらいい。

 

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 さて、堅苦しい文章も疲れたし、ここらで下りるとしよっか。

 途中下車って言葉、四字熟語として定着させたらいいのに。几帳面だけじゃあ一度きりの人生、窮屈だ。