回想する昆布はエエ出汁出しとる場合じゃない

 

 よろ昆布、喜ぶ、ウケない、寂しい、酢昆布。

 連想ゲームはいつも、予想できない結末を迎えるものです。ただ、上の一文について言えば、昆布に始まり昆布で終わっているので、十分、礼を尽くした感じがうかがえます。

 

 昆布で思い出しましたが、そもそも何故、鍼灸師になったのだろうと回想することがあります。

 

 10代の終わりまでには「人間」とは何か、「人生」とはどうあるものかなどと、うようよと考える時間が大いにあり、古今東西の哲学書や心理学などの文献、書籍を読み漁る暮らしをしておりました。漁に出ていました。

 普通なら色恋や情事、色欲などに溺れながらも藁を掴んで成長していく時期でしょうが、何せ、性欲の無い身ですから活字に没頭できた訳です。もう開き直っています、性欲無いんです。

 

 話が脇毛に逸れたので戻しますと、戻るところが見当たらず、まだ始まっていなかったと気付くこと、しょっちゅうあります。

 

 巷間には生きることの意味を問う向きもございますけれど、ここに至って思うに、そんなモノ無いんじゃねえか、って。じゃあ、生きることは無意味かといえば、そう単純に割り切れるものでも無い。

 どちらかはっきりしない論調は、日本特有のものかと思いきや、そもそも伝統的な日本文化って相当、薄いと思いますよ。頭髪ではなくて、純粋さと言う意味で。

 

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 そういう曖昧もっこりな悩みって、一度囚われの身になると、なかなか助けがこない。助けがこない間にももっこりしていくから、振り返った時に相当なもっこりになっているというのが、大変困った状況に陥ってしまう理由だと思います。

 もっこり地獄というべきか、もっこり天国というべきか、私には答えられません。

 

 ええ、それで。どれか定かじゃ無いが、それで。

 東洋という枕詞が付いているだけで、もっこりしてしまう身体となりました。アダルトな世界観が前面に押し出され過ぎて、何のことかさっぱりもっこりしていますが、私には性欲がないのでこれ以上、もっこりするのは如何かなと、首を傾げる日々が長くなり、首が回らなくなっております。

 

 ええ、この記事こそ曖昧もっこりの元凶ですよ。

 回想、どこに行ったかな?