暮れなずむ暮れにcrazy世迷い言

 

 病気は心身が発するsignであると、人は云う。

 

 認識しようがしまいが、身も心も昼夜問わず、様々に活動している。食べることも寝ることも、ダラダラすることも全て、引っ括めて生命活動なのだから。全てにenergy が消費されている。

 たとえ本人が、「このくらいなんでもないよ」と言っている活動があるとして、それは経験や体質、性格など半ば後天的な要因も重なり、そう思えるわけで、心身からすればずっと続けてきた生命活動の一つ。疲れないわけがない。

 

 そして、心身は歳月を重ねた挙句、磨耗し疲弊もする。その結果、一線を超えた時、それは病や怪我として表面に現れる。

 睡眠不足による不測の事故、過労による緊急入院、心労の積み重ねによるうつ状態、など。

 苦しい思いをする中で、岩間から差し込む光明のような、思わぬ解決のきっかけが掴めればよいが、そうならないこともある。むしろ、そうならないことが多いように思う。

 

 現代は過労だ。私はそう思う。

 過労と言っても働き過ぎというだけではなく、全体的に動くことが善という暗黙の了解が求められ、休むことを否定的にみている向きが強い。

 人間は機械ではない。休まず動き続けるなんて、非人間的な活動だ。

 

 自律神経系には、交感神経系と副交感神経系がある。生命活動の機能面を強力に支える、そういう素晴らしい仕組みと思っているが、それは進化の過程で得た「gift」ではないか。

 そんな素敵な贈り物を無駄にしてまで、活動一辺倒に暮らすなんて狂気でしかない。

 

 現代はもっと休むべきであり、休むことを受容するsystem、枠組が必要だと思う。

 今では祝祭日が何なのか分からないほど、いつでも、どこかで眩しい照明がともり、寝ることを嘲笑うかのように、終日開店している。回転する歯車は、もう止められないのだろうか。

  常に張り詰めた糸は切れる。ずっと膨らませれば風船は割れる。

 

 私が、鍼灸師として目指すものは治療ではない。

 治すのは神経系、免疫系、内分泌系が十分やってくれる。鍼灸は彼らが最高のperformanceを発揮できるよう、陰陽を調整するだけで善いと思っている。