風呂とアフロに捧ぐ夜想曲

 

 一時期、アフロビートに激ハマりしていた。でも、アフロにならなかったのは、私のアイデンティティが坊主頭であることを、頑なに守っていたからだ。有り難う、本当に有り難う。

 

f:id:ume8yang:20170924201326j:image

 

 私がこのブログを始めた当初、この場を通して鍼灸東洋医学に対する偏見や、言い表しようのないモヤモヤを拭い去れたら、という熱い想いだけがあった。

 しかし今、読み返してみるとそういう熱い気持ちがあったのかさえ、よくわからない世界観だけが残り、不可解極まりないことになっている。

 

 そう、きっと東洋医学とは不可解でいいのだ。不可解であることで、東洋医学アイデンティティを保っている。私は一握りの独善で、そう思うようにした。

 何から何まで理論づけしたところで、それが仮説から生まれている以上、砂上の楼閣に安住しようとしているに過ぎない。

 

 f:id:ume8yang:20170924202047j:image

 

 自由に動き回る野生の動物を、冷たい檻に閉じ込めようとするのは、その自由が捕獲者を不安にさせるからであり、その動物が不安を感じるからではない。

 だが、非情にも現実は、動物が不安を感じないよう、守るために檻へ入れるのだと誤解させる。

 論理は飛躍する。善い方にも、そして悪い方にも。

 

 このブログも飛躍した。何処へ向かっているのか、私にはもう分からない。

 それでも、少しでいいから東洋医学鍼灸が、緩徐に心身を癒す術であると伝えていきたい。

 

 過緊張や興奮、ストレスが交感神経系をピリピリさせ続け、心身の不調を招くのならば、その均衡を失した状態を快復させるため、安心と休息をもたらす術でもある。

 安心して眠れない世界に、眠るための時間を提供する、四千年来の魔法。

 

f:id:ume8yang:20170924204025j:image

 

 終わらない疲れに追われないよう。

 風呂の話は全く出て来ず、アフロの話が懐かしいけれど文脈には何の関係なく、結局、今回もまた、迷走しているだけだった。迷走神経が発達しているのかもしれない。

 

 そういう事で、またいつか。