鰯の身も心も信心から

 

 鰯。いわし、そしてイワシ。

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 台風が過ぎ、その影響か、秋が近づいてきたらしい。夏の疲れは今のうちに解(ほぐ)して、秋冬へと歩みたい。さて、東洋医学に「五季」という概念がある。

 

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 春には万物が生まれ夏に盛んとなり、長夏で変化し秋には収まり、そして冬に奥深くへ。

 生命も同じで、産声を挙げてから様々な成長を経て、やがて逝く。それはまるで、春夏秋冬。

 

 悲しい、寂しいと思えば、そこには悲しみや寂しさが居着くようだ。厄介なことに、それらはなかなか去ってくれない。不法占拠を生業としているのか、それらは心を占拠し続け、人はやがて苦しむが故に、霧の中に迷い込み、適切の意味を履き違えて、選択を誤ってしまう事だってある。

 

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 人は精密機械ではない。

 寸分の狂いさえも許されない生き方では、待ち受けているのは生きながらの窒息。いつか、どこかで壊れてしまう。日常生活の大半が精密機械に溢れかえった現代、人はヒトを機械化しようと、模索しているのかもしれない。

 

 ただ、それは無理だろう。機械化された人は、もはやヒトではない。私はそう思う。

 壊れた機械は修理されるが、壊れたヒトを修理するなんて言い方は、なんだか気持ち悪い。

 

 人という字は曲線だ。曲線は柔らかい。そして、柔らかさは生命の象徴でもある。やり直すことができる。いつからでも、どこからでも。それが人間らしさではないか。

 

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 寸胴鍋で一日煮込んだら、私も柔らかくなれるだろうか。

 誤って寸胴鍋に入らない様、その選択には気をつけていたい。私の切なる願いは決して、一家の夕食を飾る煮込み料理にはならないことだ。

 そんな願い自体、願いたくもないけれど、成り行き上、仕方なかったと言い訳しておこう。

 

 迷うとき、苦しむとき、己は何処に在るや。喝破せよ。

 

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