盂蘭盆行脚(うらぼんあんぎゃ)

 

 今日は歩いた。歩いたと、言葉に変えても物足りないくらい、久々に歩き回った。

 

 神保町から、大手町へ。

 

 目的を無事に果たし、次の一手を考えるのも、立ち止まらず歩きながら。

 歩いていると血の巡りが善くなる。そして思考もまた、活き活きとして心地好い。いい書籍を手に入れた喜び、気怠い夏の暑さに背中を押されれば、歩みを止めるなどできようか。

 

 大手町から、有楽町へ。

 

 この界隈では歩くだけで、特に用事はなかった。すれ違う人波に、今が三連休の合間であると思い知らされながら、汗を拭くタオルが重たくなる。

 

 有楽町から、月島へ。

 

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 佃大橋から眺める隅田川は壮大。千変万化、雲が見せる表情も秀逸。

 大河の流れに逆らうように、数多の高層ビルが建ち並んでいる。空を飛び回ったイカロスは、その翼を灼かれ地に堕ちた。

 川を埋め、空までも埋め尽くした先に幸福は在るのだろうか。疑問を感じながら歩けば、手に持つタオルがどんどん重くなっている。

 

 送り盆。

 祖先の御霊に挨拶した。

 資産家でもない、起業家でもない、大富豪でもない。そんな私にあるものは、今までに出逢った数え切れないほどの縁。有り難いことに、得難いばかりの縁に助けられ、ここにいると言っても過言ではない。

 

 去る者を追わず、来るもの拒まず。

 冷酷かもしれないけれど、私はこの言葉が好きだ。執着を手放した処で感じる縁ほど、心身に沁みるものはないと思っている。

 今の世の中、繋がることを殊更に強調しているが、繋がることが必ず正しくて、別れることは忌み嫌うべきものか。そこには深い懊悩(おうのう)と、際限のない執着が垣間見えてならない。

 

 だからこそ、グループから抜ける人間に対し、時として、非情なまでの暴力を加える。一体、その繋がりに何を求めているのやら。

 去るも縁、来たるも縁。どちらも面白い、それだけでいい。

 

 月島から、自宅へ。

 

 浴槽に浸かると、全身の毛穴から疲労が溢れ出たかと思えるほど、身体が軽くなった。

 しかし、恐らく、体重が減ったわけではないだろう。