ある日曜日の肖像

 

 一週間に一回、日曜日は訪れる。とても律儀で、礼儀正しい来客に、こちらも背筋を正さねばならないと、気持ちを引き締める。

 

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 誤解を避けるなら、畳んだ布団にもたれながら、iPhoneで音楽を聴いている訳では、決してない。しかし、そう見えているとすれば、私の作戦は半ば成功している。

 

 今年に入り、私の部屋に断捨離という名の、素性の知れない客が来た。まだ泊まっているから、そろそろ、宿泊費を取るべきか、悩んでいる。

 私は特別親しくした訳ではないが、向こうはどうやら、散らかりっ放し、何でもかんでも積み上げられた、私の部屋が気に入っているらしい。有り難う。

 

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 生きているものは柔らかく、死んでいるものは固い。これは老子の言葉だったか、あるいは荘子だったか。

 思考もまた、硬直していれば死んでいるに等しい。柔軟に、尽きることなく、留まる事を知らずに、流れ出す思考こそ、生きている思考と言える。

 

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 心境の変化は、突然、予期しない瞬間に訪れる。わざわざ予約を入れたり、メールで都合を聞いてくることもない。

 今、休日の夕景を眺めながら、iPhoneに入れてある、お気に入りのレゲエを聴いている。

 この瞬間もまた、予期していた訳ではない。でも、予感はあった。その予感を実現させただけ、という見方も可能。

 

 モノを整理することは、ココロの整理にも繋がるのだろう。

 溢れ返った情報や資源、その他大勢、それらに関わることはココロを疲れさせ、硬直させる。そこから生まれる緊張や不安は、交感神経系も緊張させ、やがて身体にも現われてくる。

 

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 結局、断捨離を宿泊させ続けるのは、私自身、緊張からの解放を願うから。そして、そこから得られるリラックスこそが、宿泊費代わりになっている。

 

 このくらいで、『正しい断捨離との付き合い方講座』は終えるとしよう。講師になった記憶もないけれど、もしかしたら、断捨離が捨てたのかもしれないな。有り難う。