陰陽論feat.自律神経系 其の一

 

 「陰」と「陽」。

 どちらが善いとか悪いとか、善悪で論じるものではなく、言うなれば、車輪である。車輪が均衡を保つからこそ、車は安定した走りを可能にする。

 東洋医学では、それを人体にも適用する。

 

 「陰」に属するものとして、例を挙げるなら、「臓」や「血」、「下半身」や「腹部」。また、「陽」に属するものの例として、「腑」や「気」、「上半身」、「背部」などが含まれる。

 

 こんな風に四千年も前から、すでに事業仕分けが行われていたくらいで、歴史から学ぶことは多いに違いない。記憶は後ろを振り返ることなく、すぐに去るが、歴史は何処かの、何かに記されているのだ。

 

 現代は物質や情報が豊富とされているが、果たしてそれら全てを、細部まで巧く機能させられているだろうか。溢れかえった物質は余り、本当に使うべきもの、使わないものの分別も出来なくなり、増殖した情報は、時として、生活を脅かす諸刃の剣となったり、とんでもない。

 

 「The simple is the best」とはいうけれど、最善というのは最悪の始まりとも成り得る訳で、個人的には「The simple is  the better」と思うようにしている。

 推定四千年前から連綿と、この世界の隙間を縫うかのように存在してきた、東洋医学は複雑怪奇と思われがちだ。実際、複雑怪奇である。

 

 しかし、陰陽論はかの有名な、知る人ぞ知る、知らなくても大して困らない、◯次元ポケットみたいなものである。

「陰」のポケットにはあれやこれやそれやが入っていて、「陽」にもあいやそいやこいやが入っている。その様子が、複雑怪奇に思われる一因ではないかと思う。例の、◯次元◯ケットは一つしかないが、陰陽論とは信じ難いことに、そのポケットが二つもあるのだ。

 

 何処かのテレビショッピングで注文をしたら、もれなく、もう一つ付いてきたのかもしれない。四千年も前から、テレビショッピングが存在していたと信じたくないが、その疑いが濃厚だから仕方ない。

 

 さて、続きはまた次回。何を書こうか忘れてしまった。