混沌丸出し人生 其の九

 

 椅子に座り、画面に浮かぶ文字や数字と挨拶を交わす毎日。本当に挨拶していたら、奇人変人と言われていたことでしょう。

 

 歳月を経るごとに「事務」が「激務」と化し、それに伴い、数年後には心身も疲弊していき、倦怠感や苛立ち、睡眠障害も目立つようになりました。夜中、目が醒めるとイライラしてしばらく、眠れませんでしたね。一度だけ、不整脈らしいのも経験しました。

 それでも、変わることなく高額な医療費を背負っていたから、それ以上の通院を避けたくて、医者へ相談することはありませんでした。

 

 仮に、一日通院に費やせば、その日稼げる給料(時給生活でしたから)がなくなります。そして、一回で終わればまだしも、そこから新たに定期的な通院が必要となれば、最悪、より時給が高い仕事を探さないとならないし、選べる範囲が事務系だけではそれも難しかったのです。

 

 そんな葛藤を抱えていれば、精神衛生上、かなり悪いものであったことは分かるでしょう。

 ええ、例の悪循環登場です。悪循環の祟りかと見間違うほど、悪循環が絶好調でした。

 

 ところが、そんな、悪循環最高潮の頃に転機が訪れました。コン、コンと扉を叩いて。

 悪質な勧誘とかなら、居留守を使おうかとも思いましたが、それは身近なところから転がり込んできました。ええ、そうです。誰も、何も叩いていませんでした。

 

 鍼灸師の従兄弟から、鍼灸師目指したら?、と言われたのです。

 

 あまりに唐突な展開で申し訳ありませんが、思い出せる限りの、当時の言葉を繋ぎ合わせたら、そうなりました。多分、もっと色々と話していたのでしょうが、最近は記憶力が倦怠期で。

 

 話を聞いているうちに、自分にとって都合のいい部分だけが輝き、お先真っ暗と諦めていた人生に、一つの光明が灯ったようでした。

 そこで少しばかり、自分でも鍼灸というものをググって調べてみて、面白そうだし、やれそうな気がすると、直感的に閃きました。当時はAndroidを使っていたんですね。

 

 数年前に死んだはずの、あの霊感が雄叫びを挙げたかどうか、定かではありませんけど、心の底から湧き上がる何かを感じたのは確か。

 三十路という交差点に差し掛かる直前で、自分でも不思議なくらい、衝動的に動いたのを覚えています。その交差点まで行っていたら、悪魔に魂を売っていたかもしれない。

 

 悪魔に魂を売っても、儲かる保証はないのだから、今そこで動いた方がマシだろう。そういう感覚が強かったと思います。

 

 続きはまた次回。そろそろ、佳境でしょうか?

 

 

 

混沌丸出し人生 其の八

 

 身近な人の身体を支えながら、そして、生涯続けられる仕事はあるのか。

 私の身体は丈夫ではない。それでも生きていく術が見つかるなら、そこに懸けてみたいと考えたのです。

 

 右大腿骨頸部骨折は、高齢者に多いと言われています。それを、前方へ華麗に転倒しただけで起こした、21歳の肉体。

 その後、ホルモン注射で幾らか骨密度も上がりましたが、その頃は既に二十代も半ば過ぎ。医師からの説明では三十代、四十代を迎えれば誰でも、骨密度は下がっていくとか。

 それなら、生活を圧迫し続ける注射は必要だろうか?日に日に、そういう疑問が頭から離れなくなると、患者に選択肢を問わない西洋医学に対し、わだかまりを感じ始めていました。

 

 閑話休題、時代は少しだけ逆行回転。

 

 21歳で骨折してからは、それまで働いていた、スーパーでの仕事はできなくなりました。骨折箇所にチタン製のボルトが数本入っており、また骨密度が低い為、肉体仕事を控えるよう注意されていたからです。

 必然的に事務系で探すことになりますが、パソコンというものは学校の授業で触ったくらい、自宅にはなかったので、応募条件に合わないことが多く、非常に困りました。

 

 焦燥と不安が絶えず、私の同胞でした。

 履歴書が嫌いです。今でもそうですが、どうでもいいところで必ず、一度は書き損じます。何かの呪いでしょうか。

 

 (中略)

 

 何のスキルもない、紙に書いた経歴よりも書かれていない病歴に華がある、私が雇われたのは某カード会社の某モニタリング担当でした。

 あまりによく分からなさすぎて、4日間の初期研修は概ね、ウトウトしていました。あれは多分、眠かったからではなく、慣れない画面を見続けたため、眼が疲れ、脳も疲れ、眠くなったからだと思います。それはそれ、よく怒られましたが、今では好い思い出にすり替わっています。

 

 この続きはまた次回に。

 先送り、先送りで申し訳ないですが、特に計画もないまま、書いておりますので、悪しからず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

陰陽論feat.自律神経系 其の二

 

 前回、何を書こうとしていたか忘れたところで終わり、それなら、そもそも書く必要がなかったのではないか、という当然の疑問を抱えながら、深い眠りに落ちたようだが、今回こそはと願ってやまない。

 

 自律神経系について述べますが、その分野の専門ではないため、間違いが御座いましたら、詳しくご教示頂きたく思います。

 

 「交感神経」は活動に必要な、全身機能を調節している。

 心拍数を上げる、血管を引き締める、消化管活動を抑える、遠方が見られるようにするなど。

 

 例えば、剣戟(けんげき)交わし合う戦闘の最中に、トイレに行きたくなったり、グーグー腹が鳴っていては、生命が危険にさらされる訳で、便器にも、食器にも無事にたどり着けない(食事中の方、申し訳ありません)。

 それでも、戦闘当日、お腹の調子がよくないことも、朝食を抜いてしまっていつもより早く、空腹を感じることだってある。人間だもの。

 その場合、トイレに行くのもハンバーガーをかじるのも、命懸けなのでご注意のほどを。

 

 「副交感神経」は逆に、休息に必要な全身機能を調節している。

 心拍数を下げる、血管を緩める、消化管活動を亢進させるなど。

 

 例えば、陽光降り注ぐ、南の島でゆったりくつろいでいるのに、心臓がドックドク鳴り止まず、全身くまなく血液が巡り、仮に何かの間違いで矢が飛んできても、即座に矢尻を掴み、投げ返せるとしたら、休息ではないでしょう。

 

 そんな臨戦態勢で、南の島に行く為に休暇を取るのでしょうか。休暇はもっと休み、寛ぐべきでしょう。

 

 活動的な交感神経系を「陽」 、物静かな副交感神経系を「陰」と仕分けてみると、実に面白いくらい、実はそれほど面白くないけれど、西洋医学と中医学で重なる面が多いことが分かります。

 

 その話はまた次回に。

 

混沌丸出し人生 其の七

 

 さて、アレルギー性鼻炎に悩まされながらも、どんどん音楽の深淵に突っ込んでいた青年は、1960年代後半の洋楽探究に始まり、源流を辿り彷徨ううちに、ブルースやレゲエ、アフロビートなどに取り憑かれ、リスナー街道まっしぐらでした。そこでふと、閃きました。

 

 「本当にギタリストになりたいのか?」、という霊感。

 それは、小学生の頃、母の田舎で寝ていて金縛りに遭い、大きな落武者の生首を見た時以来の、霊感だったと思います。今ではその霊感さえも失い、五感のうち、残りは三感しかありません。貴重です。非売品です。

 

 (小略)

 

 それから事あるごとに、知り合いのライブを観に行ったり、知り合いのバーで酔い潰れたり、少ない財産で人生を謳歌していた時期。

 実は、強いアルコールに惹かれ、可能な限り飲んでいたのは、その場の雰囲気、会話が楽しかったからですが、もう一つ。当時はまだ声変わりしていなかった、甲高い自分の声が大嫌いで、少しでも喉を潰したかったからでもありました。

 

 性腺機能低下症で、二次性徴を迎えなかった肉体を壊したかった。でも、生きていることを楽しみたい。その欲求はサディスティックでありながら、マゾヒスティックでもある、表裏一体の欲求でした。

 

 (中略)

 

 好みの音楽が聴覚を刺激する瞬間、様々な感情が流れ込んでくる。怒り、悲しみ、悔しさ、楽しさ、エトセトラ、エトセトラ。はて、エトセトラというのは感情でしょうか。

 音の海の中に漂い、心身の乱れたメーターが改善されてくると、自分が望んでいるのが「承認」であり、「支え」であるように思えてきて、曇っていた視界が晴れた気がしました。

 

 烈しいコンプレックスを隠し続けながら、悔しい想い、治らぬ病という不条理に直面しても、誰の助けも要らないと突っぱねて偏屈になり、それなのに、本当は誰かが助けてくれないだろうか、とも願い続けた。

 非常に厄介で、迷惑な奴。

 

 そういう中で、音楽との出逢いが私の人生に波紋を広げ、乱れた生き方を直視させ、音楽を通して知り合えた方々は、今はなかなか会えておりませんけど、今でも心の支えです。

 彼らは音楽活動だけではなく、アルバイトなどで働き詰め。元気そうに見えるが、もしかしたら相当疲れているのかもしれない。何かできないだろうか?

 

 その時、利己利他の両面を照らす、ヘッドライトが見えたように感じました。

 その続きはまた次回に。眼の疲労からくる首・肩の凝りにご注意下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

混沌丸出し人生 其の六

 

 重い話が続いたので、気分転換がてら、少し違う切り口で。

 

 小中高では、音楽と体育が大嫌いでした。小中高校に通っていた訳ではありません、念のため。

 

 しかし、今ではどちらも自分にとって、切っても切れない、まるで悪代官と越後屋の蜜月みたいな、わりない仲になっているから不思議です。桃太郎侍に斬ってもらいたいかと言えば、そんな事はありませんし、ご隠居のお供が印籠を出そうとしたら必死に止めますよ。

 

 音楽は趣味として、時には世界に二人といない友のように、この十数年間を支えてくれています。

 14歳で入院した折、看護師の女性(当時はまだ、看護婦さんと呼べましたが…)にプレイヤーを借り、色々聴かせてもらいました。

 

 退院した後、初めて買った音源はMALICE MIZER月下の夜想曲』か、川本真琴『1/2』か、どちらかでした(あるいは両方同時)。当時、CDには大小サイズがあり、大きい方がアルバム、小さい方がシングルだったのですが、両方ともシングルです。それから、私もシングルです。

 

 それから数年後。某高校(都内の男子校)で毎日、自身の肉体的コンプレックスがばれないよう、息を潜めながら過ごしていた頃、マリリン・マンソンという、米国のバンドを知りました。

 おそらく、その頃が一番、精神的抑圧が激しかったのでしょう。彼らの音源を、大音量で繰り返し聴いた事が、のちの人格形成に大きく影響を及ぼし、現在に至っている事は否めません。

 誤解がないように申し上げるならば、当時はスリップノットも好きでした。

 

 (中略)

 

 20歳前後で、浦沢直樹氏の『20世紀少年』という漫画に出会いました。物語は決して、梨が主人公ではありません。

 梨はどうでもいいのです、この際。梨の話ではなし。

 

 そこから、ジミ・ヘンドリクスが好きになり、更にはドアーズやジャニス・ジョプリンも聴き、ザ・フーとかレッド・ツェッペリンとか、全部書いていたら般若心経のカタカナ版のような、大規模な文面となるため、割愛致します。

 

 恥ずかしながら、エレキギターも買いました。

 今、なぜ買ったか取り調べを受けたら、鼻水をすすりながら、「魔が差した」としか言えません。それくらい、アレルギー性鼻炎に悩まされているのです。

 

 思いの外、長くなったから続きは次回に。

 

 

 

混沌丸出し人生 其の五

 

 診断による「束縛」、それは他ならぬ、治療です。

 私の場合、I型糖尿病にはインスリンの自己注射、性腺機能低下症には男性ホルモン、と束縛されていました。もはや、緊縛といっても過言ではないでしょう。つむじから指先まで、ぐるぐる巻きでした。

 

 3割負担の保険でも、1ヶ月に数万円が通院、検査、薬となって消えていくのです。時には、その場で支払えなかった残金を後日、病院まで支払いに行くということが、何回もありました。悔しかったです、それは。

 

 それまでは生きていくために必要と思っていた治療が、すっ転んで起き上がり、ふらつきすっ転んで、また起き上がると思いきや、またすっ転ぶを繰り返すうち、治療のために生きているような錯覚が生まれていました。

 

 例えば、いつでも通院の予約調整ができるようにと、業務上の責任が比較的軽く、勤務時間に融通が効くアルバイト生活を選びましたけど、その選択がさらなる悪循環を生んでいきます。

 そこで産声を挙げた悪循環が、今度は双子の悪循環を生むのですから、精神衛生上、相当なグレーゾーンを彷徨っていたのでしょう。

 

 常に神経過敏で、イライラすることも多かったように思います。

 

 この続きはまた次回。

 見苦しい、聞き苦しい内容もあるかと思いますが、鍼灸師を志した一個人の、回想を踏まえた自己紹介ですので、心許す限り、お付き合いください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

混沌丸出し人生 其の四

 

 前回、恥を晒すと書いたものの、何が、どこが恥に値するのか分かり難かったと思う。

 しかし、「性腺機能低下症」「カルマン症候群」という、恐らくは大半の人が生きている間に聞かずに終わるような、未知の診断名の詳細を調べて頂ければ、その正体がお分かり頂けるだろう。

 

 その診断は、戸惑いや不安を与えた訳ではない。その瞬間の感情を思い出すなら、限りない喜びだった。

 マゾヒスティックな理由からではなく、永年、意識したしないを抜きにして、生まれた時から未解決なまま歪だった自分自身に、客観的な判が押されたのだ。喜ばずにいられるだろうか。

 

 確か、その夜は静かに泣いたと思う。但し、記憶はいつだって過ちを犯すから、真実かどうかは約束できないが。

 そしてその時、手術や薬などが医療の本質ではなく、この診断という、客観的に判を押してくれるシステムこそが医療の本質ではないか、と感じたのです。

 

 もちろん、外科手術や投薬が必要な疾患も数多く存在するが、それを導き出すにも診断ありき。

 診断が与える不幸が「束縛」だとするなら、その幸福は「承認」ではないか。今でもその想い、否。海より深い思い込みは変わりません。

 

 さて、次回はそんな「束縛」について、ヒットアンドアウェイさながらに振り返りますよ。

 英文をカタカナ表記するの、嫌いです。Hit and away!

 

 

 

混沌丸出し人生 其の三

 

 文字通りの恥を晒す話。

 「晒せるうちが華」という諺もあるくらいで、何処にあるかは申し上げられないが、ここにはあるのだから、我が身の恥を晒させて頂きたい。

 

 右大腿骨頸部骨折で入院した折、しばらくはベッドに固定されていたと前回、書きました。

 

 (中略)

 

 その時、小児科の医師に呼び出され告げられたのは、「性腺機能低下症」でした。初めて聞いたら、脳内で漢字変換できない名称です。今で言う、誤変換の伏魔殿ではないでしょうか。

 遺伝子検査を受けても異常はなかったから、ヒトであることは証明されたそうです。

 

 但し、子供の頃から匂いがわからない体質だったので、耳鼻科でも検査を受けました。ここまでくると、「日々検査」と言うスローガンを掲げられそうですが、敢えて掲げることなく、過ごしていたのです。

 そこでは何種類かの匂い試験を行い、やはり嗅覚に問題があると言うことがわかり、私がイヌではないことが判明しました。

 

 (中略)

 

 最終的に、医師から告げられたのは、「性腺機能低下症andカルマン症候群疑い」でした。

 もう何だか分かりません。何を言っているか分からないから、「分かりました」、とその場では答えたように思います。

 

 続きは、また次回に。iPadで入力していると、首が凝ります。凝り性の首にはまいりますね。

 

陰陽論feat.自律神経系 其の一

 

 「陰」と「陽」。

 どちらが善いとか悪いとか、善悪で論じるものではなく、言うなれば、車輪である。車輪が均衡を保つからこそ、車は安定した走りを可能にする。

 東洋医学では、それを人体にも適用する。

 

 「陰」に属するものとして、例を挙げるなら、「臓」や「血」、「下半身」や「腹部」。また、「陽」に属するものの例として、「腑」や「気」、「上半身」、「背部」などが含まれる。

 

 こんな風に四千年も前から、すでに事業仕分けが行われていたくらいで、歴史から学ぶことは多いに違いない。記憶は後ろを振り返ることなく、すぐに去るが、歴史は何処かの、何かに記されているのだ。

 

 現代は物質や情報が豊富とされているが、果たしてそれら全てを、細部まで巧く機能させられているだろうか。溢れかえった物質は余り、本当に使うべきもの、使わないものの分別も出来なくなり、増殖した情報は、時として、生活を脅かす諸刃の剣となったり、とんでもない。

 

 「The simple is the best」とはいうけれど、最善というのは最悪の始まりとも成り得る訳で、個人的には「The simple is  the better」と思うようにしている。

 推定四千年前から連綿と、この世界の隙間を縫うかのように存在してきた、東洋医学は複雑怪奇と思われがちだ。実際、複雑怪奇である。

 

 しかし、陰陽論はかの有名な、知る人ぞ知る、知らなくても大して困らない、◯次元ポケットみたいなものである。

「陰」のポケットにはあれやこれやそれやが入っていて、「陽」にもあいやそいやこいやが入っている。その様子が、複雑怪奇に思われる一因ではないかと思う。例の、◯次元◯ケットは一つしかないが、陰陽論とは信じ難いことに、そのポケットが二つもあるのだ。

 

 何処かのテレビショッピングで注文をしたら、もれなく、もう一つ付いてきたのかもしれない。四千年も前から、テレビショッピングが存在していたと信じたくないが、その疑いが濃厚だから仕方ない。

 

 さて、続きはまた次回。何を書こうか忘れてしまった。

 

 

 

 

 

混沌丸出し人生 其の二

 

 あれは確か、21歳と22歳の間を歩いていた頃。

 19歳の時に初めて、祖父の死という肉親の訃報に接し、明け方の、布団の中で嗚咽を漏らしたのがきっかけで、勢い余って剣道を始め、その一年半後には右大腿骨頸部を骨折。心は折れずに済んだものの、骨が折れていました。

 

 そして、そこから人生二度目の入院生活。

 I型糖尿病で入院したのと同じ、某大学病院でしたが前回は小児科、今回は整形外科という違いのみで、殊更に目新しいものもなく、ただただ天井を眺める日が続きました。

 

 手術が終わるまでワイヤーみたいなもので、右足をベッドに吊るしながら、寝たまま固定されていたので、眺められるものは決まっていたのです。

 そしてそれから、当時の床擦れのツラさを思い出しては、二度と骨折しないよう、細心の注意を払いながら生きておりましたが、今から数年前に痔核が発覚した時は、起きていたのですが寝耳に水でした。

 糖尿病を抱えていることで、おそらく、局所血流は悪いのでしょう。

 

 余談はさておき、手術が終わってからは徐々にリハビリが増え、動きが善くなればなるほど嬉しかったし、移動補助も車椅子から松葉杖へと変わることで、また剣道場に帰る日が近付いたという期待が膨らみ、ツラいとかイヤだと思う気持ちは微塵もなく、退院までを楽しく過ごしました。

 

 人間、前向きな理由さえ見つかれば、逆境や不遇さえも糧にできる。そう信じていたのです。

 

 ところが、その入院生活の間、車椅子で自由に動き回れるようになった頃、大変な診断を下されることになったのです。

 それは中学生の頃から誰にも言えず、ひたむきに隠し続けていた、自分の恥とも言える問題でした。

 

 それについてはまた次回。最近、トイレがやけに近い。