節目から覗く節穴に胡椒を塗れ

 

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 きっと痛いだろうね、目に胡椒を塗るとか。やらないけれど。

 胡椒は、そもそも目に塗るものではないし、中医学では「温裏類」と呼ばれ、体内の冷え取りや食欲増進に良いと言われる。食薬である。

また時代が時代なら、とても貴重な食材でもあります。いわゆる、The large regret age、大航海時代

 

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 後悔先に立たず、何故なら先に立てたのは帆でした。航海、そして後悔。

 

 それは置いといて。

 明日から職場が変わるため、その準備に追われていた、この数日間。

 目に見えないものに追われるのは、精神衛生上、宜しくないとは思うものの、ある未来を追いかけている結果、私自身も追われているという構図に気付き、それほど苦になっていないとも気付く。

 

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 明日は荒天の予報。通勤は自転車だが、明日は先輩に同行するということで、訪問は車で移動するらしい。

 しかしながら、曇天や晴天、わずかな雨天では自転車で移動するしかない。研修が終われば、間違い無く、チャリンコaround the worldとなる訳で、今から緊張の夏。

 

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 早いとこ、原付免許を取ることにしよう。

 昔、右大腿骨頸部を骨折した頃、軽トラ野郎に憧れ教習に通っていたが、坂道発進がなかなか上手くいかず、3回目くらいでようやく分かり始めたところで、骨を折ってしまった。

 

 ここでの、骨を折るというのが意味深だけれど、それは割愛。

 運転免許とは無縁の人生を送ろうと、隅田川を眺めながら心に誓った事は無いけれど、その体でいきたいと思いますので、宜しくお願い申し上げます。

 

 最初からの上手はいない。下手でも下手を繰り返すうちに、上手になっているものだ。

 だから、下手を上手に繰り返そう。

 

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After the 行脚〜it's a danger or wonder

 

 私は、忘れていた。何を忘れたかさえ、忘れていた。

 

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 ああ、行脚の前日、昔の仲間と呑んでいたんだっけ。

 いつもの悪い癖で空きっ腹をアルコールで満たし、遅くまで笑い語らえば、早々に酔いが回り、グラスに浮かぶ雫が、まるで酒ではないように感じていた。

 

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 (中略)

 

 そして火曜日の夜、39.2℃という高熱にうなされて。

 

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 水曜日に耳鼻科で診てもらい、処方された薬で寛解。感謝。

 人様の健康をあずかるならば、己の健康管理を徹底せねばならんですね。

 

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 そんな一週間の終わりにつられて、もう、七月までも終わろうとしている。

 

 旧暦では「文月」。だからといって、何もないけれど。

 敢えて言うなら、「ふづき」と読むことくらい。さっき調べた。

 

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 私、西瓜嫌いです。PASMOは使います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

盂蘭盆行脚(うらぼんあんぎゃ)

 

 今日は歩いた。歩いたと、言葉に変えても物足りないくらい、久々に歩き回った。

 

 神保町から、大手町へ。

 

 目的を無事に果たし、次の一手を考えるのも、立ち止まらず歩きながら。

 歩いていると血の巡りが善くなる。そして思考もまた、活き活きとして心地好い。いい書籍を手に入れた喜び、気怠い夏の暑さに背中を押されれば、歩みを止めるなどできようか。

 

 大手町から、有楽町へ。

 

 この界隈では歩くだけで、特に用事はなかった。すれ違う人波に、今が三連休の合間であると思い知らされながら、汗を拭くタオルが重たくなる。

 

 有楽町から、月島へ。

 

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 佃大橋から眺める隅田川は壮大。千変万化、雲が見せる表情も秀逸。

 大河の流れに逆らうように、数多の高層ビルが建ち並んでいる。空を飛び回ったイカロスは、その翼を灼かれ地に堕ちた。

 川を埋め、空までも埋め尽くした先に幸福は在るのだろうか。疑問を感じながら歩けば、手に持つタオルがどんどん重くなっている。

 

 送り盆。

 祖先の御霊に挨拶した。

 資産家でもない、起業家でもない、大富豪でもない。そんな私にあるものは、今までに出逢った数え切れないほどの縁。有り難いことに、得難いばかりの縁に助けられ、ここにいると言っても過言ではない。

 

 去る者を追わず、来るもの拒まず。

 冷酷かもしれないけれど、私はこの言葉が好きだ。執着を手放した処で感じる縁ほど、心身に沁みるものはないと思っている。

 今の世の中、繋がることを殊更に強調しているが、繋がることが必ず正しくて、別れることは忌み嫌うべきものか。そこには深い懊悩(おうのう)と、際限のない執着が垣間見えてならない。

 

 だからこそ、グループから抜ける人間に対し、時として、非情なまでの暴力を加える。一体、その繋がりに何を求めているのやら。

 去るも縁、来たるも縁。どちらも面白い、それだけでいい。

 

 月島から、自宅へ。

 

 浴槽に浸かると、全身の毛穴から疲労が溢れ出たかと思えるほど、身体が軽くなった。

 しかし、恐らく、体重が減ったわけではないだろう。

 

 

 

 

変化というもの

 

 カタチには、色々あると思う。マル、サンカク、シカク、ヒシガタ、ダエン、バツペンタゴン、など。

 私が昔から好きな言葉に、『水は方円に随う』というものがある。あるという事は、無いわけではない。日本語特有の二重否定、分からなくもなくはない。三重?

 

 何言っているか、分からない。

 

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 さて、本題。

 ヒトが変化を求めるのは、どういう時だろうかと考える。

 それはきっと、その人次第だという結論に至った。

 

 (完)

 

 …というのは嘘で、まだ書き足りない。

 場合によっては「裏切り」、「変節」と言われて叩かれる事もあるが、それが信念や強い想いに駆られた上の、その人自身の内面から湧き起こるものなら、寛容でありたいと思っている。

 

 むしろ、寛容であってもらいたいというのが、私自身の切なる願いだ。

 個人的な願望でも、悪くなくはなくなくないと思っている。もはや、多重否定すぎて、どちらの意味になるのかさえ、考えたくない。

 

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 個人が抱える想いは千差万別。

 それはまるでトマトを見た時に、ある人は「赤い」というのに対して、別の人が「美味しそう」というようなもの。

 それを一方の見方、感じ方に束縛すれば反発が生まれ、その反発が新たな反発、反感を招く。

 

 いわゆる、トマト論争というものである。

 トマトでなくても良いのだが、成り行き上、トマトに固定してしまった訳で、「何でトマトなんだ!」、と、新たな論争を起こしても、私にはその責任は重過ぎる。快く辞退申し上げる。

 

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 当初、何を書こうとしていたのかが分からなくなり、意外と上手く描けたトマトに満足。

 人生ってそんなもの、そうやって毎日、過ごすことさえできれば、きっといつかは大往生。

 

 何となく、書きたかったことと違う気がするけれど、まあいっか。

 

 

 

 

陰陽論feat.自律神経系 其の三

 

 交感神経系の中枢は胸髄・腰髄にあると言われ、副交感神経系の中枢は脳幹・仙髄にあると言われる。

 

 ざっくばらんな位置関係で示すと、胸髄のエリアには肺や心、心包などの兪穴が存在する。東洋医学では、「上焦(じょうしょう)」と呼ばれ、身体上部の臓腑器官と関係が深い。

 

 また、仙髄のエリアは骨盤内器官などがある。兪穴なら「八髎穴」。

 そこを生命の根源を宿す空間として見れば、羊水にぷかぷか浮かぶ胎児の、リラックスしたイメージこそが副交感神経系の中枢とも言え、「下焦(げしょう)」と呼ばれる、身体下部の臓腑器官を指すエリアに近い。

 

 上が「陽」なら、下が「陰」。

 交感神経系や上焦を「陽」、副交感神経系や下焦が「陰」とするなら、「陽虚」というのは交感神経系が弱まった状態、即ち、副交感神経系優位。

 逆に、「陰虚」は副交感神経系が弱まった、交感神経系の過緊張。

 

 仮説を組み立てると、曖昧模糊とした東洋医学と、理路整然とさせる西洋医学との接点が見え、面白く感じる。例え、それが馬鹿げた屁理屈だとしても。

 

 また、交感神経系でも上位にある胸髄が「陽」だとすれば、下位の腰髄は「陰」。

 副交感神経系なら上位の脳幹が「陽」、下位の仙髄が「陰」。

 

 さて、続きはまた次回。

 

 

ある日曜日の肖像

 

 一週間に一回、日曜日は訪れる。とても律儀で、礼儀正しい来客に、こちらも背筋を正さねばならないと、気持ちを引き締める。

 

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 誤解を避けるなら、畳んだ布団にもたれながら、iPhoneで音楽を聴いている訳では、決してない。しかし、そう見えているとすれば、私の作戦は半ば成功している。

 

 今年に入り、私の部屋に断捨離という名の、素性の知れない客が来た。まだ泊まっているから、そろそろ、宿泊費を取るべきか、悩んでいる。

 私は特別親しくした訳ではないが、向こうはどうやら、散らかりっ放し、何でもかんでも積み上げられた、私の部屋が気に入っているらしい。有り難う。

 

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 生きているものは柔らかく、死んでいるものは固い。これは老子の言葉だったか、あるいは荘子だったか。

 思考もまた、硬直していれば死んでいるに等しい。柔軟に、尽きることなく、留まる事を知らずに、流れ出す思考こそ、生きている思考と言える。

 

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 心境の変化は、突然、予期しない瞬間に訪れる。わざわざ予約を入れたり、メールで都合を聞いてくることもない。

 今、休日の夕景を眺めながら、iPhoneに入れてある、お気に入りのレゲエを聴いている。

 この瞬間もまた、予期していた訳ではない。でも、予感はあった。その予感を実現させただけ、という見方も可能。

 

 モノを整理することは、ココロの整理にも繋がるのだろう。

 溢れ返った情報や資源、その他大勢、それらに関わることはココロを疲れさせ、硬直させる。そこから生まれる緊張や不安は、交感神経系も緊張させ、やがて身体にも現われてくる。

 

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 結局、断捨離を宿泊させ続けるのは、私自身、緊張からの解放を願うから。そして、そこから得られるリラックスこそが、宿泊費代わりになっている。

 

 このくらいで、『正しい断捨離との付き合い方講座』は終えるとしよう。講師になった記憶もないけれど、もしかしたら、断捨離が捨てたのかもしれないな。有り難う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

蒸し蒸しでヒイヒイいってる夏

 

 日本の夏は湿度が高い。他所の国ではどうだか知らないが、日本は海に囲まれている事自体、湿度とは隣り合わせ。そして日本列島を縦断しようが、横断しようが、行き着く先は海だ。

 

 東洋医学でいう「脾」は、現代医学でいうところの「膵臓」と「脾臓」が、ごちゃ混ぜになっていると思われる。本間祥白先生の著書、『図解十四経発揮』でその図が描かれているが、表現し難いくらい、グニョッとしていて、喩えようと思ったが喩えられずにいる。

 

 他の書籍か何かでは、ネクタイのような形状で描かれていたと思ったが、実際の膵臓がネクタイを寝かしたような形のため、その相関関係は侮れない。

 それと、寝ているネクタイの先っちょに脾臓が付着しているということは、少なからず、影響しあっているとも考えられる訳で、その関係性も侮れない。

 

 つまり、侮れないのである。

 

 「脾」は「湿」を悪(にく)んでいる。

 親の仇なのだろうか。それとも、昔、煩く注意してきた担任だからだろうか。とにかく、悪んでいるらしい。昨日、例の、寝ているネクタイがそんな話を、子守唄がわりに聞かせてくれたが、それが煩くて仕方なかった。

 

 さて、何を話そうとしていたのだろう。

 いつもこうだ。枝葉が枝葉を生み出し、際限なく彼方此方へと発展する。それが活字中毒者の性(さが)なのだとしたら、もう、どうしようもない。

 

 ほらまた、枝葉が伸びてゆく。しようがない。

 

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混沌丸出し人生 其のおまけ

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 骨折後の、某大学病院の整形外科病棟に入院中、毎日の血糖値やリハビリの記録を取ったノートにて。

 時折、アホだった。

 

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 でも、どこか楽しげでもある。

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 それ以上に、アホだった。

 

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 そんな、若かりし頃があったのです(当時22歳)。

 

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 そして、これが現在の自画像(推定34歳)  。

 

 

 

混沌丸出し人生 其の後

 

 どうやら、無事に終着駅に着いたらしい。

 

 しかし、ここは出発駅と同じ風景。誰かが私を混乱させようと、終着駅に出発駅と同じ装いをさせたのだろうか。

 だけど、隣で座っている人も、向かいで寝ている人も、出発の時と全く同じ人達だ。そこまで同じように細工する意味がわからない。まさか、精巧に作られたハリボテか。

 

 

 ここが出発駅でも、終着駅でも構わない。

 これまでも生きてきたし、これからも生きていく、その通過点でしかない。

 生きるということはそれだけで苦しむ要素を孕(はら)み、また楽しむ要素も孕んでいる。どちらか一方だけ掬(すく)い取ろうとすれば、余計な力が必要になる。

 

 それはつまり、苦しむだけの人生を、自分で選んでいるに等しい。もっと流れに素直でいいと思う。

 

 

 私は鍼灸師となった。それはきっと、通過点。

 まだ新参。それもきっと、通過点。

 

 鍼と艾(もぐさ)で身体を癒やし続ける、その歴史に惚れた。だから、鍼灸師だけ。

 

 ところが最近、薬膳の勉強を始めたのは、鍼灸だけで生きていくという信念を裏切ったようで、いささか心苦しい。

 そのベクトルを変えてもよいなら、通過点であった鍼灸が再び出発点となり、新たな通過点が見えてきたという事でしょうか。

 

 ここが出発駅でも、通過点でも、若しくは終着駅であろうとも、先ずは「看脚下(かんきゃっか)」の精神で生きていきたいものです。

 

 

 〜完〜

 

 却下… 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

混沌丸出し人生 其の十

 

 専門学校は、中央区八丁堀にありました。片岡鶴太郎さんや村上弘明さんが出演していた、『八丁堀の七人』で有名な、あの八丁堀です。

 もしかしたら、『八丁堀の七人』の方が有名ではないかもしれないので、少し補足すると、テレビ朝日で昔、放送されていた時代劇です。ええ、最後の数分間は切った張った、張った破ったが当たり前の、痛快江戸寸劇サスペンスアクション、です。

 

 物語の構成順に並び替えたら、江戸サスペンス痛快アクション寸劇でしょう。

 七人の方はさておき。

 

 専門学校での生活は、十数年ぶりの学生ということで戸惑い、最初は息を潜めて隠密さながらに、慎ましく生きていこうと誓っていたのですが、そこは八丁堀。

 すぐに素性が割れました。隠密でも、あんみつでもないと知られると、話す相手が増えたのです。

 ましてや、当時は煙草を吸っており、喫煙所に入り浸っていたため、リラックスしたついでに口が滑り、正体がバレたのです(その後、煙草には飽きたので禁煙成功しました)。

 

 さて、午前中は鍼灸学生、午後は某カード会社でアルバイト、日によっては従兄弟の整骨院を手伝ったりと、 三足のわらじを履いて、過ごした歳月は大変でした。

 大変でしたが、得るものと失うもの、総じて得たものは計り知れない。

 

 時に得たものだけをポジティヴに捉える世界で、失うということは負ではなく、マイナスがプラスされたという見方で、人生においては貴重な財産と言えるのです。

 どんなものでもそのベクトルを操作すれば、価値が含む価値は、絶えず変化し続けると思いませんか?

 

 独り語りに疲れたら、たまには問い掛けたりもします。

 さて、今回で終わりにしようと考えていたのに、気ままに書いていたら、終着駅を乗り過ごしました。どうやら、銀河系を彷徨っているみたいです。

 

 ということで、次回で終わることを祈りましょう。